ワルツという名のコーヒーを。【SHORT BREAD STORY vol.4】

お客さんとお店の人とのあいだで交わされることば、寄せあうこころ、言えなかった胸のうち。そんなささいなエピソードを、ショートストーリー仕立てでお届けする連載。ホントかウソかさえもあいまいな、それさえもふわふわと楽しんでください。

たとえば友人とごはんを食べたあと

「ちょっとお茶でもしようか」となったとき。出てくる言葉はたいてい「どこでもいいよ」とか「どっかそのへんで」とかになるのは、目的がそのじつ「お茶を飲む」ことではなく「おしゃべりをする」ことだからに他ならない。

かといって本当にどこでもいいわけでもなく、願わくばコーヒーがおいしくて、気がねなく心が休まって、あわよくば気働きのいい店主がいるところのほうが、もちろんいいに決まっている。齢を重ねるたびごとに、むしろその思いはだんだん強くなっている。

ただ時間も限られるなか、近くにそんな都合のいいところがあるとは限らないので(たいていない)、あきらめの傘をさしながら、とくだんなんの思い入れもない「どっかそのへんで」あきらめのコーヒーをすすることになる。

この人生で何度あっただろう……と、彼女はぼんやり振り返る。なぜなら今まさにその状況で、友人とふたりお茶をする場所を求め、ここ福岡の街をふらふらさまよっているからだった。いよいよ時間も迫り、いつもの傘をさしかけたとき、ふと思い浮かんだ店があった。

そこは夜はバーなのだが、昼は喫茶店として営まれ、コーヒーがおいしいと聞きつけていたところだった。確かこの辺りだったはず……とスマホをたぐると、ものの5分で着くと出た。ビンゴだ。

店は雑居ビルの5階にあった。

ただ、その日に限ってエレベーターは故障中。しかしやっと見つけたお店だものと、彼女はめげなかった。「いい運動」と友人ふたりで励ましあうように、ハァハァさせながら上りきると、ごほうびのような、なんともいえない、みめ心地いい空間が広がっていた。

カウンター奥の暗闇から、くぐるようにして店主が現れた。細面で繊細なメガネをかけ、しかと髪を七三に分けた男性だった。衿に縫い目のない白いシャツを一番上まで留めているのが、とてもよく似合っていた。世の中にはシャツのボタンを一番上まで留めるのが似合う人と、似合わない人がいるけれど、その店主は紛れもなく前者だった。

カウンターの、ちゃんと地に足がつく椅子に座る。コーヒーは「ワルツ」と「ソナタ」と名付けられた2種類のブレンドがあった。彼女はそれを見て、すぐさまテネシーワルツと月光が心に浮かんだ。今、どっちが気分だろう。頭のなかで、ふたつの曲がせめぎあう。友人はさっさとワルツに決めたが、彼女はたっぷりめに悩み、結局ワルツにした。世の中がかさついていくなか、テネシーワルツを聴くたびに感じる、どこか遠くを思いやるような、やさしさと懐かしさに浸りたかったのかもしれない。

抽出はネルドリップで。

 

 

カウンターに行儀よく並ぶ3つのドリッパーが、3つの石でおさえられていた。いかにも何か言いたげな石だった。店主は2杯分の豆を挽いてネルに入れ、とんとんとん、と豆の入った容器の底をたたき、粉をならしたあと、ちんちんちん、としずくを落とすようにポットのお湯をそそぎ入れる。そのすべやかな、気軽な儀式のような所作は、彼女の大好きなコーヒー屋さんがする所作と、とても似ていた。

ひとつ、大きく違うところは音で、彼女の好きなコーヒー屋にはBGMがない(だから緊張感があってよい)。ただここは店主が音楽好きなのだろうか、レコードプレイヤーから心を弛緩させる音色が、空間を塗りこめていた。

ふと横を見やると、カウンターの一番はしっこに、ひとりの青年が座っていた。文庫本とスケジュール帳をどちらも開き、忙しそうなテーブルとは裏腹に、表情はうつらうつら、今にも眠ってしまいそうだった。

コーヒーの抽出を終えた店主は青年のようすをちらりと見やると、レコードプレイヤーに近づき、盤を変えた。やがて流れた曲は、まさにさっきまで、彼女の頭のなかで流れていたテネシーワルツだった。店主は音量を小さく絞った。

彼女はうっとり聴きふけりながら、供されたコーヒーをひとくち飲んだ。しっかりとした苦味のなかに、カカオを焦がしたような甘みがとろりと舌に舞い込む。しばらくふわりと味わっていると、何ごともなかったようにスッと消える。そしてまたひと口飲む。彼女はそれを、ワルツのリズムに合わせて繰り返した。友人との会話も、いつしか途切れ途切れになった。

そこに突如ゴチン、という鈍い音が混ざった。カウンター奥の暗闇で、店主が痛そうに頭を押さえているのが見えた。

Inspired by 珈琲花坂

Text by Mituharu Yamamura(BOOKLUCK
Illustration by Ikuyo Tsukiyama