台湾、いいにおいのするコーヒー屋さん【SHORT BREAD STORY vol.3】

お客さんとお店の人とのあいだで交わされることば、寄せあうこころ、言えなかった胸のうち。そんなささいなエピソードを、ショートストーリー仕立てでお届けする連載。ホントかウソかさえもあいまいな、それさえもふわふわと楽しんでください。

  

その男は「パラサイト」という映画を観てからというもの

においがとくだん気になりだしていた。映画によると“貧しき者だけが放つにおい”というものがあり、それは皮膚に心根にねっとり染み付き、しかも本人たちは決して気づかないのだという。男はそれほど貧しくはなかったが、かといって富みまくっているわけでもない。自分にその「貧しきにおい」がないとは、確信が持てなかった。

そんなある日、男は台湾へ旅をした。いつもはスルーする空港の免税店で、いつのまにかブランドものの香水を物色している自分がいてビビった。

台湾は、いわば「におい天国」だった。

通りからぐいぐいせり出した飲食店からは、ありとあらゆるにおいがした。おもにするのは漢方のそれ。苦手な人もいるかもしれないけれど、男はめっぽう好みだった。苦いような甘いような、胃がきゅんとなるような芳香は、かいでいるだけでスッと健やかになれそうな気がした。と思っていたら、その後話した友人から「香りも“気”だからね」と言われて、深く納得した。漢方のにおいに、アロマテラピーのような効果があるとは実証されてはいないものの、きっと関係があるだろう男は勝手に思った。

その友人から、あるコーヒー屋さんを教えてもらった。

友人いわく「最初に飲んだ時、ここのコーヒーは何かが違う。すごくそう思った」とかで、その説得力しかないレコメンドに、男の好奇心はむんずと掴まれた。さっそくとばかりに友人にさよならを告げ、行ってみることにした。

最寄りの駅を降りると、すぐにわっさーと繁る街路樹が奥まで続く、気持ちのいい通りに出た。道の両側には洒落た店がぽつぽつとあり、無造作に椅子とテーブルが並べられている。台湾にこのような露店席はままあったが、そこだけは“オープンテラス”とそっと呼びたい風情を醸していた。

目的のコーヒー屋さんは、通りから少し入ったところにあった。外観は昔の邸宅のような、古いけれど小体でしっかりとした佇まいで、中もその期待を裏切らない、居心地のよいムードを醸していた。きれい好きで、いつもニコニコしている友人のおうちにお邪魔したような、そんな底抜けの安穏感があった。

カウンターの席を案内され、店主と思わしき人と遭遇すると、男の安穏感は増幅した。一見、柔らかい雰囲気だが、強い美意識が見え隠れする。こだわりとやさしさは相対ではなく、溶け合うこともあるのだと、彼を見て思った。

店主は英語と日本語のメニューを渡し「わからないことがあったら、なんでも聞いてくださいね」と言った。男はしばらく考えたが、やはり相談することにした。

「花やフルーツの香りは好きだけど、酸味の立った味はあんまり好きではない」という男の謎なリクエストにも怯むことなく「それならば」とおすすめしてくれたのが、エチオピアの中煎りだった。男は素直に従った。

待っている間、男は店内をくるくる見回した。

するとちょこちょこと飾られているモノの、飾り気のなさに男は舌を巻いた。中国ではおなじみの「福」を逆さにした赤い紙が貼ってある隣には、日本の神社のお札があったり、さらに缶コーヒーがうやうやしく鎮座していたり。一歩間違えればよくある「趣味の店」に落ちぶれるところを、伸身トカチェフ1回ひねりで10.00の見事な着地を見せ、奇跡的にセンスの良さを保っていた。

そうこうしているうちに、コーヒーができてきた。木肌のような文様が入った焼きもののカップには、黒く光る液体がなみなみ注がれている。こぼれないよう慎重にカップを運んでひとくち……うわっ、何これ!衝撃のうっとりビームがビビビ、ビビビと、男の舌に、心に轟くのだった。

なんと言えばいいのだろう。酸味は確かにあるのだけれど、とろりとした口当たりとまるい甘味で、するんときれいに収まった。たわわに実った果実の芳醇な香りと味わいがした。

これはもはやコーヒーではない。柑橘のフルーツスープだ。

感動さめやらぬうちに、そのことを店主に打ち明けると、彼はさも納得したようにこう言った。「いい豆を使うのはもちろんだけど、淹れ方も関係しています。うちは日本のKONOのドリッパーを使っていて、抽出は難しいけれど、温度や時間などをうまく調整すれば、酸味も立たず、ちょうどいい味わいになるんです」

それにね。と店主は付け加えた。

「頻繁ににおいをかぐんです。するとある時ふわーっと、花のようないい香りが立ち上ってくる。その瞬間を感じ取ることが、おいしいコーヒーを淹れるのに大切なんです」

丸い眼鏡の奥の目がキランときれいに光るのを、男は見逃さなかった。そして、においはどんなにおいであれ、それを感じ取ることが、そもそも素晴らしい。そう、合点した。

Inspired by Rruyo Cafe
Photo&Text by Mituharu Yamamura(BOOKLUCK