夢はかなうと知ったパン屋でのこと【SHORT BREAD STORY vol.2】

お客さんとお店の人とのあいだで交わされることば、寄せあうこころ、言えなかった胸のうち。そんなささいなエピソードを、ショートストーリー仕立てでお届けする連載。ホントかウソかさえもあいまいな、それさえもふわふわ楽しんでください。

「なんて呼べばいいのだろう」って

いやいやそれ、こっちが聞きたいんですけど。と、男は心の中で思いっきりツッコんだ。

ここは夕暮れが似合う大阪の下町にある、小さなパン屋さん。
「なんて呼べばいいのだろう」とは、そこに並ぶパンに付けられた名前だった。ショーケースの隣を見ると「ひと息のフゥ」「冬が何さ」「感じて答えろ」「いつもおもうこと」などなど、どの名もこの名も珍妙さにみちみちている。そもそもパンの名前とは、中身や味の情報を伝えるものではなかったのか。なのにそこからは、何の情報も受け取れない。

店主が、何かを伝えたがっているのは分かった。

「あとはそっちで想像しろよ」とばかりにぐいぐいあおってくる感じ。でもいくらふくらませたところで、パンとの関連や接点はちっとも見つけられない。浮かんだ想像力は寄る辺なく、ふわふわと彷徨うだけだ。

ま、いい。見た目でおいしそうなパンを買ってさっさと帰ろう。そう思っていたのに店主は「奥にどうぞ」と、当然のように促す。手の平を上に返し、チョップのようにいくども揺らす。

確かにショーケースの隣には、トンネルのような、ほの暗く細い通路があった。奥はイートインスペースのようだ。男は執拗にすすめられしょうがなく、いや、いくばくの好奇心も手伝って、素直に進む。

 

じっと待っている間にも、客はぽつぽつと来た。

まずは親子連れ。「ただの一度も」という名のあんバターサンドを指差し「買って!」とだだこねる幼児。ごはんを食べに行く前らしく、親はそれを無下に拒否。「ごはんより、ただの一度もが大好きなの!」と泣き叫ぶ幼児のあられもない姿を、男は通路の奥からそっと見守る。

 

 

 

次は、エレガントな風貌のおじさん。ふわっとやってきて、パンをしっかり買い込み「これ、なんて呼べばいいのだろう?美味しくて、妻は絶句してます」と、ひっそりつぶやき、そっと出ていく。

いつのまにやら外はとっぷり暮れ、閉店間際になっていた。

何のためにここにいるんだっけ?男は急に不安にかられ、帰ろうと席を立ったその時「すいませんー」と言いながら、あるひとりの女性が扉を開けて入ってきた。手にはショップカードを握りしめ、柔らかな物腰を、さらに低くしている。どうやら取り置きしていたパンを取りに来たようだ。そのまま帰ろうとする女性を店主は引き止め、男と同じように「奥にどうぞ」とすすめている。最初は恐縮がっていたが、やがてトンネルのような通路をくぐり、こっちにやってきた。ふたりはおのずと目が合い、自然と話をすることになった。

曰く、女性は佐賀からわざわざやってきたという。

店のことはとあるイベントで偶然知り、その瞬間に「いつか、絶対に行く」と決心したという。

「お店の感じとか、ネーミングも面白いじゃないですか。惹きつけられるんですよ、なんか背景が知りたくなる。そして『なんて呼べばいいのだろう、ってなんだろう』って手帳に書きつけたんですね」

すると折しも、仕事で大阪に来る機会ができ、するっと来訪が実現したという。

「私ね、やりたいことや思いついたできごとがあると、名付けて、手帳に書くようにしてるんです。ボーッとただ考えてるだけじゃなくて、日記のようにあったことを書くんじゃなくて、これからのことを名付ける。すると、ほんとに叶うんです」

それを聞いて、男は腕を組んだ。できごとを「名付ける」ってなんだろう。名付けると、何か起きるのだろう。男は目玉をくるりと動かし、しばらく考えていた。

 

inspired BY アップルの発音

Text by Mituharu Yamamura(BOOKLUCK
Illustration by Ikuyo Tsukiyama