ファッションから本当の幸せを考える。エシカルなレザーブランド【andu amet】の想い

絹のように滑らかで肌ざわりの良いエチオピアシープスキンを使った、リュクスでエシカルなレザーアイテムを展開する株式会社andu amet(アンドゥアメット)。流行やトレンドではなく、ずっと使い続けたい“人生の相棒”のようなアイテムを、ハンドメイドにこだわってつくり続けています。そんな唯一無二のブランド「andu amet」立ち上げの背景や、ファッションに対する想いをうかがいました。

株式会社andu amet(アンドゥアメット)が展開するレザーブランド「andu amet」。

andu ametの商品は、エチオピアシープスキンという希少性の高いレザーでつくられます。このレザーは、エチオピアだけに生息する「アビシニアハイランドシープ」という羊からとれる皮のこと。

羊は、世界中に約3000種類近くの品種があるといわれています。
大きく分類すると「ヘアシープ系」と「ウールシープ系」の2種類に分かれますが、そのうち食用にも適していて革の品質が良いのがヘアシープ、毛の品質が高く良いウールがとれるのはウールシープ。
そしてヘアシープのなかでも、エチオピアのアビシニアハイランドシープは、特別質の良い革になる存在なのだそう。

丈夫でありながらきめこまかく肌ざわり滑らかで、ずっと触っていたくなる最高級のレザーは、年を経るごとに味わいが増していくのも魅力の一つ。

この高グレードのレザーから生み出される革製品は、エチオピアにあるアトリエで、現地の職人がすべて手作業で仕上げています。工場のようにパーツごとで作業工程を分けることはなく、一つのバッグをつくるのには、最初から最後まで同じ職人が手掛けるそう。

ハンドメイドへの熱意と職人への敬意、そしてandu ametというブランドに込められた真意が、こうした製品づくりのなかから感じとれます。

関わるすべての人に、喜びを感じてもらうことを理念とするandu amet。
現在は東京・神宮前にコンセプトショップも構えています。

今回は店舗へお邪魔して、ブランドの代表でありデザイナーを務める鮫島弘子さんへandu amet立ち上げに至るまでの経緯と想いについてうかがってきました。

エチオピアへ住むことになったきっかけ

鮫島さんが起業したのは約8年前、2012年のこと。
andu amet立ち上げとなる直接のきっかけは、ボランティアとしてエチオピアに住んだことがはじまりだそうです。

「新卒で企業へデザイナーとして入社しました。この頃はまだ、ファストファッションという言葉はありませんでしたが、大量生産・大量消費がはじまった時代でした。勤めていた会社では、ちょうど私が入社したときに商品のすべてが中国製へと切り替わって、残業してでもどんどん新しい商品をつくる毎日でした。」

新しい商品を次々とつくり上げる日々を、はじめこそ楽しんでいた鮫島さん。
しかし、毎日の業務に少しずつ疑問を感じるようになっていきます。

「新作発表の展示会に行くと、数百ほどの商品がダーッと壁を埋め尽くすんです。そのくらいたくさん商品があるのに、翌シーズンには全部なくなってしまう。一体どこに行くんだろうと不思議でしたが、すべて年間で廃棄されているのを、仕事で目の当たりにしました。」

もちろん廃棄にならない商品をつくることが前提であるものの、物によっては新品のまま、誰の手にも渡らず廃棄されていくファストファッションの現実。
自分がつくったものがどのくらい捨てられているのかを知ったとき、「本当にこの仕事を一生やるのか」と、そう考えたといいます。

「カタチはピカピカしてきれいだけれど、すぐ廃棄されてしまうもの。当時はよく、“きれいなゴミをつくっているだけ”という言い方をしていました。一生をかけてこの仕事をしていく自信がなくなってしまって。同級生が看護師とか弁護士とか、社会の役に立つ仕事へ就いていると聞くと、自分がゴミをつくっていることに、ひどく苛まれました。」

それでもデザインの仕事が好きだった鮫島さんは、デザイナーとして人の役に立てることはないかと探し、人づてで知ったJICA(国際協力機構)のボランティアへ応募。これがエチオピアに住むきっかけとなります。

なぜエチオピアだったのか?

JICAのボランティアに応募し、その後海外へ派遣されることとなった鮫島さん。しかし、エチオピアへ行きたいという希望はなかったそうです。

「派遣先はどこでもいいですと言ったら、たまたまエチオピアだったんです。取材時によく、『どうしてそんなにエチオピア好きなんですか?』と訊かれるんですけど、当時はエチオピアがどこかも知らなくて、 “あ、ここか…”みたいなかんじでした。」

また、その時のエチオピアに対する印象について訊ねると、
「飢餓・難民といったイメージが強かったんですが、実際には美しくておもしろい国でした。でも、一歩裏路地へ入るとスラムも広がっています。私は幼い頃、父の仕事の都合で海外に住んでいたことや、エチオピアへ行く前までに20~30ヵ国を旅したことあるので、いろいろな国を見てきました。でも、これまで訪れたどの国よりも貧しかった。」

鮫島さんは、普段はあまり国の貧しさについて話さないようにしているといいます。それでも、当時はアフリカの貧困の現実にショックを受けたそうです。そして派遣されたエチオピアでは、初めて「援助慣れ」を体感したと話します。

「援助慣れとは、つまり、寄贈品などドネーションが入ってくることがエチオピアでは当然になってしまっていたんです。働かなくてもお金がもらえる仕組みを知っている。私が派遣された場所にもJICAから予算が出ていたんですが、そのお金で『このパソコンを買ってほしい』とかそういうことばかり言ってきて。でも自分たちは働かずに、朝からずっとお茶してるんですよ。本当は働ける人たちが、“援助”のせいでダメになっているという現実がありました。
ただ、みんながみんな援助慣れしているのかと言えばそうではなく、やる気がある人もいることに少しずつ気がついたんです。エチオピアにはいい素材もたくさんある。だから、援助じゃなくてビジネスにすればいいのかなって。」

開催したファッションショーで “答え”を見つける

アフリカの現実を目の当たりにしながらも、現地の人と少しずつ出会うなか、援助ではなく「一緒に働く」という方法で支援できないかと考えるように。

実際に、エチオピアでものづくりをはじめるきっかけの一つとなったエピソードをうかがいました。

「派遣された先でファッションショーをしたんです。私はボランティアで、ショーは予算もない。だから参加者にも、お給料は出ないことを断っていたんですが、みんな一生懸命で。『どうしてそんなに頑張るの?』って訊くと、こういう仕事はこれまでやったことがない。ファッションショーも初めてですごく楽しい。デザインも技術も初めて見るものだと。この言葉を聞いて、この人たちと一緒にものづくりをしたら私も楽しいだろうなって思ったんです。」

さらに嬉しいことに、ショー終了後のオークションで、商品が飛ぶように売れたのです。しかも当時のエチオピアでは考えられないほどの金額だったといいます。

「世の中では、流行を取っ替え引っ替えしながら商品が消費されている反面、本当はオンリーワンのものや、つくった人の顔が見えるもの、ストーリーがあるもの、そしてユニークなものが求められているんだと感じました。大量の工業製品より、こういうものをみんなも欲しいと思っているし、つくる人も幸せだろうと。
会社にいたときは、私は一生キレイなゴミをつくっていくのだろうか。でもファッションやデザインの仕事が好きだから、ほかの職には就けないしどうしたらいいんだろうと悩んでいましたが、その答えがここにありました。」

夢を叶えるため修行期間として再就職を選択

エチオピアへの派遣後、ガーナにも滞在し帰国。
このときすでに起業することは考えていたとのことですが、今までにデザイナーの仕事しか経験がなく、起業に必要な資金調達の方法、海外取引のための物流知識、営業先、人のアサインやスケジュール管理、人員のトレーニングなど、デザイン以外のことを学ぶために鮫島さんは再度就職をします。

「デザインするのが好きだったから、デザイナー以外の仕事には興味もなくて。だから、やりたいことが出てきても次に進めなかったんです。やっぱり修行が必要だと思ってビジネスの仕組みが見えるところへ行こうと考えました。」

そうして再就職したのは、誰もが知っている世界的にも有名なハイブランド。しかしながら、アフリカでのものづくりにこだわりながら、なぜ修行先としてハイブランドを選んだのでしょうか。

「フェアトレードをしているブランドはその当時からもありましたが、正直、デザインも品質もすてきだなと思えるものがあまりなくて。ひと昔前のトレード商品はどちらかと言うとチャリティー要素が強く、よくも悪くも手づくり感が勝ってしまう。そうではなく、持つことに憧れがあって、人から求められて、大切に使われるもの。そうでなければ意味がないと思っていました。
元より、大量生産や大量消費に嫌気がさして、そうではないことをやろうとしているのに、商品を長く使ってもらえなければ、これまでやってきたことと変わらない。長く愛される“ブランド”をつくりたかったんです。」

これまで意識してこなかった“ブランド”というものの価値や、ビジネスの方法を勉強するために世界的有名ブランド企業を選択。鮫島さんはそこで5年間、貪欲に働いたそうです。

休みなく行動した5年間、流れをつかむ

これまでデザイン一本だった鮫島さん。再就職後は会社で一から勉強したことも多かったといいます。企業勤めの5年間は毎日が激務で、「andu amet」の元になるデザインを考える暇などは皆無だったそう。
とはいえ、土日などの空いている時間には少しずつ準備を進めていったようです。

「資金をどうやって調達しようとか、今まで経験してこなかった分野での準備を進めました。あとは仲間を少しずつ集めたりですね。平日は夜遅くまで会社で働いて、週末にその仲間たちとミーティングをしたり。
私はいくつかの団体でプロボノ(※)としても活動していたので、その経験も活きました。例えば、エシカルなファッションやジュエリーを扱っている団体で立ち上げのお手伝いをしたり、アフリカのNGOでデザインのアドバイスをさせてもらったり。ネットワークを広げることで、起業のためになる情報を教えてもらったりしました。」

(※)pro bono publicoの略。各分野の専門家が、職業上もっている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般や、それに参加する専門家自身を指す。

起業前は、かなり精力的に行動していた鮫島さんですが、自分のブランドを持つことへの熱意だけでなく、この時期は人との出会いにも恵まれたといいます。

「“やってみたらいいよ”と応援してくれる人に出会うことが多くて。タイミングよく共通の興味がある友達がいっぱいできたりとか。プロボノなど、やっていなければ最終的に自分一人では起業していなかったと思います。本当に“流れに乗ったな”という感じですね。」

偶然が続きエチオピアに運命を感じる

不思議な縁の話は続きます。
「andu amet」を大殺界の仏滅に起業するくらい、普段は「縁起」などまったく気にしないという鮫島さんですが、振り返ってみると要所要所で「運命」を感じることがあったといいます。

「冒頭で話したJICAのボランティア派遣先ですが、正確にはデザイナーとしてアサインのあった国がエチオピアを含めて4カ国あったんです。1カ国だけ名前を忘れてしまいましたが、あとの2つはブルガリアとガーナ。エチオピア、ガーナ、ブルガリアなら、一番キラキラしてるブルガリアが良くないですか?なので、最初はブルガリアを希望したんです。でも蓋を開けてみるとエチオピアだった。ちょうど仕事が面白いタイミングだったのもあって、派遣先もブルガリアじゃなかったし行くかどうか迷って。」

この合格通知が来たとき、鮫島さんはメキシコを旅行中だったといいます。そして、合格と派遣先を聞いてからの4日間、まるで示し合わせたかのようにいろいろな人からエチオピアの話を聞くことになります。

「派遣先がエチオピアと聞いた後、たまたま知り合っておしゃべりしていたアメリカ人の娘が、“HANA”だと言ったので、『日本人にもハナという名前があるよ』と教えてあげたんです。そうしたら彼が、『そう、僕の好きな3つの国からとったんだよ』って。1つ目は日本の”flour(花)”、2つ目は奥さんが韓国人だから韓国語で”하나(the first)”、3つ目はアムハラ語で”sweet”。」

そこで、鮫島さんはハッとします。

アムハラ語はエチオピアの言葉。アメリカ人の彼はその時、昔エチオピアに行ったことあるのだと思い出話をしてくれたといいます。その後も、グアテマラ人の男の子からエチオピアの話を聞き、さらにはイスラエル人の女の子からもエチオピアの話を聞き…3度立て続いてエチオピアにまつわる話を聞くことに。

「え、またエチオピア?みたいなかんじでした。たった4日の間にこれだけ立て続けて話題に上がるだなんて、これはもう行けってことなんだなと。それでJICAに、エチオピア行きますと伝えたら、その後はピタッと話は聞かなくなって…。どの人にもボランティアの話はしていないのに、本当に不思議な偶然でした。」

派遣先のエチオピアだけでなく、実際に起業するとなったときにも、必要なポジションを手伝ってくれる人が次々現れるなど、運命と言ってもいいような出会いが1年ほどの間で何度となくあったそう。

「これはもう、神様が“やれ!”と言ってるんだと思いました。仕事に関してだけは、本当に引き寄せているものがあるのかなって感じます。」

不思議な力にも誘われ、鮫島さんはその流れに素直に従って「andu amet」がスタートします。

ものの買い方・使い方・選び方・楽しみ方をもっと素敵にしたい

神宮前に実店舗を持ち、エチオピアと日本を行き来していると鮫島さんへ「andu amet」が今後実現したいことについてもうかがいました。

「もののつくり方を含めて、みんなが楽しくて幸せを感じるような商品の選び方・使い方を提案できたらと思っています。
自分の中ではまだデザイナー的な見方・感じ方が強いので、“捨てられてしまう商品をつくる”ということに、どうしても心苦しさを感じます。つくる人側も辛いけれど、使う人側も、結局はものを取っ替え引っ替えするような買い方をしているということは、一つひとつに満たされていないからであって、もし本当に満たされていたら、そんな買い物の仕方はしないと思うんです。」

これまでデザイナーとしてものづくりに携わってきたなかで、鮫島さんは、何か一つでも好きだと言えるものを手にしたときにこそ、その人の本当の幸せがあるのではないかと話します。

「ノーブランドの洋服でも、自分が気に入っていれば捨てずにとっていると思うんです。逆に高かったハイブランドの洋服でも、気に入っていなければあっさり処分してしまったり。みんなそうだと思うんです。特にファストファッションで買ったものは汚れや破れがなくても、来シーズンは着ないと思えば簡単に捨ててしまえる。キラキラしたりときめきすることもなくて。そこに “幸せ”は少ないですよ
ね。そうではなく、たった一つ、自分にとってスペシャルなものを持つこと。そこに“幸せ”があると思うのです。」

それは、コンビニのお弁当よりもお母さんがつくるお弁当の方がおいしく感じたり、名前を思い出せないお店で買った指輪よりおばあちゃんの形見の指輪の方が大切なのと同じことだと、鮫島さんはいいます。

たった一つの、自分だけの大切なものを持つこと。

そういうものを選ぶための、買い方・使い方をすることの方が幸せだとうことを伝えたいのだといいます。

何かものを買ったときに、
“これ、エチオピア製なの。エチオピアって人類発祥の地なんだよね。きれいな女の人がいっぱい住んでる国で、それで、コーヒーがおいしいんだよね。”

“これって、ネパールでつくられたんだよね。ネパールってさ、ずっと王政が続いてて…”
そんな風に、もののストーリーを楽しめること。

その方が、ただ“これってピンク色だね”と言うだけよりも、深いし楽しい。

「私はもともと旅が好きだけれど、その“旅が好き理由”は、たんに山を見るのが好きなんじゃなくて、その山のことを知ったり、山の麓に住んでいる人たちと話したりして、そうして知識に厚みができていくことが楽しいんです。それらの知識は、本でも得られるものかもしれないけれど、実際に現地へ行って話すことが楽しくて、体験することが楽しいって思うんです。

たとえば、ネパールに行ってそこで山に登って、帰り道で買ったお土産は、自分にとってすごく特別だったりする。そういうことが、普段の生活のなかでも溢れるといいなって。」

値段じゃない。特別なものだけで毎日がつくられてほしい。
今使っているペンも、消しゴムも、昨日食べた卵焼きも、すべてが特別。
もので溢れている現代だからこそ、本当に気に入ったものだけで毎日がつくられていること。

それが、この時代の本当の贅沢であり、本当の豊かさ。

「ものをたくさん持っていても、それを“贅沢だ”と感じる人は今の日本にはもうあまりいないはず。それなのに、セールだから、安いからといって買ってしまう。でも気に入っていないから結局使わないし、捨ててしまう。みんな、それではいけないっていうのは、なんとなくわかっている。でも、“なんとなく”だから、やっぱりなんとなく同じことを続けてしまう。限りある人生なのに、そんな風になんとなくな毎日を続けているのはもったいないですよね。

本当に気に入ったものなら持っているだけで気分が良くて、楽しい気持ちになる、幸せに思う瞬間がある。毎日のすべてが特別でつくられて、それを感じてもらえるような社会にしたいと考えています。」

自分の内面を深めることが幸せへの一歩

今あなたが、気に入って使っているものがあるとして、それをどうして好きなのかどこが好きなのか、その理由を答えられるでしょうか。

”なんとなく好き”ではなく”なぜ好きなのか”をはっきりと伝えられるようになることは、実は自分の内面を理解することにつながっているといいます。

「今はもう、ひとつのブランドが誰にとっても“等しく良い”という時代ではありません。私の好きなものとあなたの好きな物は違って当然だし、何に価値の感じるかはそれぞれ違う。みんな違うけれど、それでいい。ただ、自分のことを知らないと、何が自分にとって本当にいいものなのかにはたどり着けません。

自分を知ることは、まさに階段を一つひとつ下りていくような地道な作業で、今の忙しすぎる社会では省かれてしますのが現実です。けれど、本当はそんな地道な作業こそが、幸せのための一歩ではないでしょうか。」

忙しさのなかで省略されてしまったことが多くあるなか、他人からどう見られているのかも自分で判断できない障害の一つと鮫島さんはいいます。

流行っているから、好きじゃないけど着る。トレンドを追いかける。春には春物着なきゃいけない。
人の目や評価が気になって社会的に地位があるものを選んでしまう。

そんなズレたものの選び方をしてしまうことが人々の間で慣習として染みついて、そして社会もまた、名の知れたブランド品を持っているから「お金持ちで信頼できる」などと、外見で判断する文化が未だに根強く残っていることに、危機感を持つべきなのかもしれません。

本当に好きなものへのひた向きな想い

「私はファッションの世界の人間ですが、トレンドや流行にはまったくと言っていいほど興味がありません。流行りのものよりも、自分がつくりたいと心から感じるものをつくりたい。
エチオピアで職人がつくるものを毎日見ていますが、本当にアートなんです。一枚の皮が職人の手によって立体物になっていく。そういうことの尊さや美しさ、楽しさをもっと伝えたいんです。私にとってandu ametの商品は、“職人たちの作品”。だからこそ皮の良さが活きるカタチ、手しごとが活きるデザインをいつも考えています。

今の時代、普通ならできるだけ手間や工賃がかからないデザインにしようと考えると思いますが、私は、悩んだら手間がかかる方を選びます。どうしたらその手間の素晴らしさが全面に出させるか考えるんです。」

アートピースのようなものをつくりたいと、寄木細工を皮で表現したバッグ。これはエチオピアの職人たちがその日の気分で色の合わせ方決めているそう。だから2つとして同じものがない。

「どんなに大変な思いをしても、自分がつくりたいものをつくるという気持ちは変わりません。andu ametの商品は職人の手仕事でつくるものだからこそ一つひとつ違うし、そこに想いが込められていると表現したいんです。商品の色も、一般的に選ばれやすいのは黒や茶色でそれが一番売れるのかもしれないですが、そうではなく、持つことで気分が明るくなるカラーリングやエチオピアらしい生命力を感じさせる配色を意識してデザインしています。」

店内を見渡すと、棚に並ぶバッグはどれも色鮮やかなものばかり。
まるで美術館のような気品を感じるのに、それでいて気取ったところがなくあたたかい。

アニバーサリーだけではなく毎日が特別で、そんな日が続くことが、今を生きる私たちの本当の幸せなのだと鮫島さんはものづくりを通して伝えたいといいます。

誰に何を言われても、自分はこれが好きだと言えることの強さ。
そしてその強さは、一つでも多く好きなものを持つことから始まります。

幸せに生きることへ、ただただひた向き。
だから、「andu amet」の商品は、美しい。

 

株式会社andu amet
https://www.anduamet.com/
※現在コンセプトストア実店舗は臨時休業中です。(オンラインストアは営業中)
※コンセプトストア店舗スタッフとオンライン上で買い物ができるバーチャルショッピングを開催しています。

text: Mizuki