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【旅の途中の神様訪問】風情溢れる柴又の帝釈天で猛烈に幸せを願う

人の住むところには、必ず神社やお寺があります。そこに住む人々の暮らしを心静かに見守り、悩み事を解決してきた神様たち。これは、旅の途中で出会った神社やお寺にちょっと寄り道させてもらい、神様訪問をした記録です。

柴又駅前の寅さん像。左の草履に触ると幸運が訪れるというジンクスも。

葛飾柴又…と聞いて思い浮かべるのは、やはり寅さんです。

映画『男はつらいよ』の舞台としてあまりに有名で、その昔「フーテン」という職業に憧れていた(そういう職業があると思っていた)あの頃からは随分と大人になった今、縁がありこうして寅さんの聖地へとやってきました。

 

すぐ側を江戸川が流れる葛飾柴又は、昔ながらの風情や情緒が今も色濃く残るノスタルジックなエリア。参道のまち並みや賑わいなどが確かに息づき、日本人の生活や生業を理解するために欠かせない景観地のひとつとして、平成30年2月、国の重要文化的景観に選定されました。

今回はそんな柴又の帝釈天を訪問します。

 

本当の名前は帝釈天ではなく「経栄山題経寺」


総欅造りの二天門前にて。

柴又帝釈天の正式名称は「経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)」で、日蓮宗の寺院です。寛永年間(1624~1644)に中山法華経寺の禅那院日忠上人によって創建されたと伝えられています。
それなのになぜこの寺院が「帝釈天」と呼ばれているのかというと…。

その昔むかし、日蓮聖人が自分で彫った「帝釈天の本尊」が一時期行方不明になってしまったことがありました。

ところが、今から約240年前にあたる安永8年(1779年)の春、本堂修理時に行方不明になっていた本尊が発見されたのです。本尊が見つかったこの日は、干支では「庚申(かのえさる)の日」でした。本尊が見つかった縁起の良い日であるとして、「庚申(かのえさる=こうしん)」がその後より「縁日」として定められました。



二天門までの参道。昔の風情が色濃く残る。


それからさらに後、日敬上人がこの帝釈天の本尊を背負って、飢饉や疫病に遭った江戸の人たちへ拝ませたところ、不思議なご利益を授かったそうです。

こうして、帝釈天の本尊への信仰が広まっていくなか、ちょうど同じ頃、「庚申待(こうしんまち)」という”庚申の日には体内の虫がその人の悪事を天帝へ報告するため、それを一晩寝ずに阻止するという”民間信仰が流行していたため、それが帝釈天本尊への信仰と結びつき、「庚申の日に帝釈天を参詣する」という風俗が今日まで受け継がれてきました。

現代でも60日ごとの庚申の日には「宵庚申」として帝釈天板本尊をご開帳し縁日として参道が多くの参拝客で賑わいます。

このような歴史を経るなかで、経栄山題経寺は江戸時代から、ご利益をもたらした御本尊「帝釈天」の名で呼ばれるようになったそうです。



宵庚申の纏の模型。昔の縁日風景を感じながら。

浄行菩薩に祈る腰痛の治癒

二天門をくぐると左側に見えるのが「浄行菩薩」です。浄行菩薩は法華経に出てくる菩薩様で、五行思想が元となる煩悩を清め注ぐ水徳を持つといわれています。病気や怪我など身体の痛むところだけでなく、心の病をも洗い清めてくれる功徳を授けてくれるそうです。

ちなみに、最近は猫背がひどくなり腰痛が発生している私は、菩薩様の腰を真剣にさすり、ついでに頭と顔が良くならないだろうかと顔まわりも撫で回してしまいました。


この際心根も直していただくようにお願いしたらよかったかも…。

開山のきっかけになった御神水


映画の寅さんは産湯としてこの御神水につかったという口上も有名。

浄行菩薩の隣には御神水があります。柴又帝釈天の御神水は、そもそもこの場所に寺院を開山する元になった起源があります。
日忠上人の弟子である題経院日栄上人が柴又へ寄った際に、そこで見事な枝ぶりの松の木を見つけたのですが、さらに近づいてみるとその松の下には霊泉が涌いていたのです。弟子の日栄上人は、師である日忠上人に開山するよう勧め、経栄山題経寺ができたのです。

開山の元となった霊泉は今も湧き出していて、福徳・延命・無病息災の霊験があるとされる御神水を、地元の人も参拝し愛飲しています。

 

日栄上人が霊泉を見つけた瑞龍松。

 

御神水には金のとぐろを乗せた白蛇がいます。この蛇が意味することは謎のまま…。

 

経栄山題経寺、真の御本尊

実は、柴又エリアには七福神もいらっしゃるのです。そのうちの「毘沙門天」が、なんとここ経栄山題経寺(=柴又帝釈天)に祀られているため、毘沙門天が授ける金運・恋愛・芸事などのご利益があると勘違いされることが多いようです。

また、これまでの歴史的経緯から「帝釈天」が御本尊と思われがちですが、題経寺の御本尊は、実は「大曼荼羅」(だいまんだら)。二天門正面に見える「帝釈堂」が有名ですが、本来の本堂は「帝釈堂」の右に建つ「祖師堂」!


正面のお堂は「帝釈堂」。本来の本堂はこの右隣…。


事前にある程度のことは調べて行くものの、柴又帝釈天については巷で書かれているご利益情報が割とバラバラだったので、正直に言って「謎のパワースポット」でした。

「行けばわかるさ!」と来てみましたが、御本尊が「大曼荼羅」とわかっても「曼荼羅って絵じゃないの…?」と不勉強を痛感。

ということで、今回ばかりは寺院の方に伺うことにしました。


僧侶様、「旅の者から質問です。」

質問はしたいものの、どうやって聞いたらいいのか…。と悩むこと数分。

ウロウロと、とにかく怪しかったことでしょう。最終的に「旅の恥はかき捨て」と開き直り、ようやく恰幅の良い僧侶のオジサマに声をかけます。


ー質問(実践)中ー

私「すみません、ちょっと教えてほしいのですが…。」

僧「はい、なんでしょうか?」

私「えーと、この寺院はどういうお寺なんでしょうか?」

僧「ここは経栄山題経寺と言ってですね、~~(むずかしいお話)~~」

私「……。(尋ね方を間違えたと気がつく)」

僧「~~~~と、言うありがたいお寺です。」

私「ほ、ほう。なるほど…。あの、ちなみにどのようなご利益があるのでしょうか?」

僧「ご利益ですか?」

私「すみません不勉強で…そういう、作法?とかよくわからなくて…。」

僧「もしかして外国の方ですか?」

私「えっ…?(純日本人顔)」

僧「………(返事を待ってくれる優しい僧侶様)」

私「ええ、えーと。そう、かもしれないです、ね…(フランス人から見たら私も外国人だと考えれば、まぁ)」

僧「そうでしたか。こちらでは心に思うお願い事をしてくださって構いませんよ。例えば…(と、家内安全や無病息災などの意味をひとつずつ説明してくれる優しい僧侶様)」

私「えーと?いうことは…(理解できず)どんなお願い事をしてもいいってことですか?」

僧「はい。どんなお願いでもいいんです。ご自身の幸せを願うところですから。」

私「え?自分の幸せを願うところ…ですか。」

僧「詳しい作法は気にしなくていいので、まずは手を合わせてご自身が幸せになるためにお願いごとをしてください。」

私「ん?…な、なるほど?わかりました、アリガトウゴザイマス!」

 

ーお参り中(妄想なし)ー
私「先ほどの親切丁寧な説明を、実は全く理解できていないということは自分でもわかっています。それを承知でお願いです。」

神様!!!ワタシ、幸せになりたい!!!!!!!

アドバイスのとおり、シンプルな願い事をして退散します。

 

神様の言葉を代弁するためのお便り「おみくじ」

旅の恥をかき捨て切れず、なぜか外国人を偽ってしまったことに激しく後悔しつつも、猛烈に幸せを願いました。では、神様の声を代弁するためにおみくじで運勢を確認します。

ちなみに、柴又帝釈天のおみくじはすごく古風!

 


おみくじを引いて、出た番号の引き出しから自分で結果を取り上げます

運勢:大吉



まさかの大吉!前回の旅で凶を引いた後の大吉。しかも猛烈に幸せを願った後の大吉。

しかも柴又帝釈天のおみくじは凶が多いらしく(売店の奥様談)「大吉は珍しいですよ」と言ってもらえたので有頂天です。


願望:叶う

病人:回復す

失物:出ずる

縁談:大いによろし!

最強です。もはや腰痛など治ったも同然!(の気分)


見どころの多い柴又帝釈天

柴又帝釈天は、別名「彫刻の寺」と言われています。寺院のなかに「帝釈堂彫刻ギャラリー」と「大庭園(邃渓園)」があり、緻密で迫力ある法華経説話を題材とした「法華経説話彫刻」と、回廊のどこから庭を眺めても美しく魅せる「池泉式」の悠然とした日本庭園を鑑賞することができます。(入場料400円がかかります)

本尊を参った後、ギャラリーと庭園の静かさに身を委ねながら、ゆっくりと時間を過ごすのもおすすめです。

『慈雨等潤の図(石川信光作)』

羽衣の天女の彫像。一本の木から彫り出していると思うとすごい技術。

池泉式の庭園(回廊より母屋を眺める)

庭園内にも御神水が沸いています。

ここにも猿がいます。


幸せを願うとはなにか、考えてみる

帰ってから改めて曼荼羅について調べてみました。
曼荼羅とは、仏教(密教)の世界を絵柄で表したもので、宗派によってその意味や表す世界は異なるものの「悟りの境地」が示されてあると書かれています。

 

悟りの境地と聞いての勝手な解釈ですが…。
これは、人々のどのような願いもそのすべては神様に見通されていて、その上で「あなたのお願い事はなんでも聞き入れますよ」と、曼荼羅は示しているということなのでしょう。

だから、何か特定したご利益があるというわけではなく、家内安全も無病息災も学業成就も心願成就も、「願う事のすべてが=ご利益」ということに繋がります。「ここは自分の幸せを願うところ」という言葉の意味には、曼荼羅の示す「悟り」についてを集約して伝えた結果だと理解しました。

帝釈天の敷地内にいる三猿。自分に都合の悪いことは見ないフリ…。


…と、言うことは。

柴又帝釈天について書かれていたいろいろなご利益情報は、なかには勘違いされているものもあったとして、どれもあながち間違ってもいないのかもしれません。

ただ、願い事が叶うかどうかは結局自分次第で、信じて願う気持ちの強さと、それに伴う日頃の行動が大切なことには変わりないのかなと思います。

つまり。神様は「見てますよ」ってことなんだろうな。



柴又帝釈天(経栄山題経寺)

http://www.taishakuten.or.jp/index.html

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